Devin 北本滉希 社会人編「前編」
こんにちは。今回は、社会人になってからを書こうと思います。
初めての就職先は、神戸西宮にある製菓工場でした。
主に、駅や空港などといったお土産のお菓子をメーンに作り中でもロールケーキに1番力を注いでいました。
丁度、ロールケーキのブームも来ている時でした。
新入社員は、6人で1人だけ男で心細かったのを覚えています。
新入社員になり待ち受けていたのが各部署合同のオリエンテーションや研修などでした。
色々なとこに出張に行き話を聞いたりとなかなか大変でした。
そして、学生気分が抜けてない私はやらかします。
研修の講義中に居眠りをしてみんなの前で怒られました。
先生にも研修している数十人にも謝りました。その時の恥ずかしさは今でも覚えています。怒られた後は、しっかり講義を受けました。
そんな事件もありつつも研修を終えて製造の仕事に入っていきました。
私は、焼き物担当になりました。主に、ロールケーキの生地やパウンドケイク、プリンやスフレなど作っていました。
簡単に生地を混ぜると言っても腕全体を使い卵と粉がしっかりダマにならないように混ぜなければいけません。
最初の頃は、混ぜる練習もしました。混ぜ方も上司や先輩に教えてもらい合格が出るまで頑張りました。
上司達は、簡単に混ぜていて真似をしているつもりでも同じようにならないのです。腕の向きや手の向きリズムであったりととても苦戦しました。
でもそれが私にとって知らぬ間に面白い、楽しいってなっていたのは後からになって思いました。
当時は、一生懸命にがむしゃらに仕事をしました。色々な仕事を任されていく事や技術が上達する事が楽しくて最初の頃は、遊ぶ事もせずに仕事をしました。
1年なんてあっという間に過ぎていました。
次に待ち受けていたのは、私が先輩になるという事でした。
今まで、下っ端で一生懸命やってきて今度は教えるということを、しないといけませんでした。
私自身、感覚的な感じで仕事を覚えていっていた為、とても口で説明するのには苦戦しました。
人に教えるっという事は私自身もわかっていないと教えられないので私も勉強し直しました。
上手に教えれたかどうかは、わかりませんがいっぱい伝えました。
そして、自分の仕事にも教えるという事にも慣れてきた私に次の試練が待っていました。
日々の仕事をこなしている時に何故か腕とか手が荒れはじめました。
乾燥とか手荒れは日頃からある程度は、あったのですが比べ物にならないくらいに荒れていきました。
病院に行って調べてもらったら「卵白アレルギー」でした。
生の卵白がだめになってしまいました。私自身の生卵白のキャパが超えてしまってアレルギーとなってしまいました。
その事があった為アレルギーには凄く敏感になりました。
しっかり気をつけないと命を落とす問題なので安易に考えては駄目だとしっかり思いました。
不便な面もありますが、自分のキャパを超えるくらい頑張ったのかなと今は思い出として思っています。
その当時は、コンテスト関係にも挑戦したりもしていました。
先輩や上司に教えてもらい、色々と作ったりしていました。
なかなか大変で心が何度も折れていました。
入賞などは出来ませんでしたが、基礎知識が身につき良い経験をさせて貰いました。
色々とやっていく中で次第に生菓子もやってみたいなと思っていきました。
そして、生菓子もやってみたいと思い転職しようと決意しました。
地元に戻ろうとも思い準備を進める中で神戸御影でお店を出している知り合いの方のお店に一週間入らして貰いました。
今まで体験したことのない、厨房や接客と全てが新鮮で工場の一部しかしてこなかった僕にはこんな形もあるのかと勉強になりました。
そして、地元の養父に帰り地元の和菓子店にて仕事するようになります。